大宜味クガニー
わたしが名護で生活していたとき、シークヮーサーは“買ってまでして食べるもの”ではありませんでした。小学生の頃、名護の山沿いに住んでいる友人の家に遊びに行ったとき、山に自生しているシークヮーサーをもぎとって食べたことがありますが、オレンジ色に熟していてもただ酸っぱいだけで、1〜2個食べるのがやっとという印象でした。売買されているものでもありませんでした。
だから、大宜味に嫁いできたとき、近所のおばぁが両手いっぱいにシークヮーサーをかかえ「えみちゃん、みかん、もうおいしい時期よ!」と持ってきてくれたときには驚きました。シークヮーサーってこんなにおいしいものだったんだ!と。同時に、名護市(当時は名護町)の小学校の運動会の出店で売られていたシークヮーサーらしきものを食べたときに「なぜこのシークヮーサーだけはおいしいんだろう?」と記憶の片隅にあった味覚をふつふつと思い出し、それが大宜味のシークヮーサーだったんだと納得しました。
おばぁがシークヮーサーをあえて「みかん」と呼ぶのは、本土の冬の光景にあるようなコタツとみかんが、大宜味ではシークヮーサーだからです。お隣近所が集まっておしゃべりをしながら食べていると、カゴに山積みにしてあってもすぐになくなってしまいます。
大宜味村には野生のシークヮーサーの木がたくさんあり、お金をかけずに食べられる果物のひとつです。食べるばかりではなく、大宜味の地で受け継がれている織物・芭蕉布を作る過程で、シークヮーサーの酸で中和して布の肌ざわりをよくしたり、洗濯にも使われていたのでことさら生活と密着していました。
長期に渡って実をつけるシークヮーサーは、酸味の強い青切りのときは搾って、お刺身で酢のかわりにして味噌和えにしたり、刺身にかけて食べます。大宜味村には酒の好きな人が多く、集落ごとの行事や飲み会の席に出されるおつまみ用の刺し身で、シークヮーサーは大活躍。酢は買わなければ手に入りませんが、シークヮーサーはどこにでもあり、身内や仲のいいグループが集まると、お刺身の上に直接ふりかけ醤油をつけて食べるか、味噌で和えます。酢を使うより風味がいいのです。11月頃の程よい酸味のときには、搾ってジュースとしておいしくいただきます。そしてお正月の時期になるとクガニー(黄金色)となり果物としての甘味を発揮します。小さくて種もいっぱいあるけれど、その面倒臭さも気にならないくらいおいしい。おばぁたちは昔、家のまわりで実をつけたシークヮーサーをティール(竹カゴ)に入れ、バスに乗って隣村や町へ売りに出かけたというような話を誇らしげな表情で語ってくれます。
村の特産物であるシークヮーサーですが、他村から“大宜味クガニー(黄金)”という名で呼ばれており、“黄金”という名がつくくらい特別においしく、他の地域のシークヮーサーとは違うということを物語っています。それを知っている人は、道端で売られているシークヮーサーや、お店で青果として売られているシークヮーサーを、「これは大宜味クガニーですか?」と確認して買い求めます。
さらに大宜味村内でも山に実る野生化したシークヮーサーよりも庭の敷地にある里のシークヮーサーのほうが甘くておいしいのです。集落では自然のものは自然に帰す動きが昔からあって、残飯は庭の畑や敷地内に穴を掘って埋めて堆肥にしていました。今でいうコンポストです。そういうものが天然の肥料となって、里のシークヮーサーはさらにおいしさを増していったのではないかと思っています。
ちいさくても みかんの王様 シークヮーサー
沖縄では醤油よりも味噌をよく使います。村のおばぁたちから伝わったシークヮーサー料理にも味噌が登場します。ピンガーイチャ(ムラサキイカ)の酢味噌和えが代表的なものですが、8月ころの酸がきいたシークヮーサーは刺身によく合い、ミジュン(いわし)の頭を取り除き、骨を抜かずに丸ごと包丁でたたきにして、シークヮーサー入りのみそで和えたものはとてもおいしいです。目の前で取れたモズクはシークヮーサー味噌で和えます。小さい青果は島唐辛子とともに泡盛に漬けます。まるごとスライスしてアイスやホットティーにも。和え物や焼き魚につかった搾りかすは、無駄なく刻んで酢漬けにして調味料に。熟果はまるごと甘露煮。マーマレードなどにつかう果皮は、多量に含むノビレチンが健康にも大きな効果があり、残さでしかできない商品の開発が楽しみです。果汁をしぼった後の残さの利用がプラスされることによって、用途、需要ともに活性化していくと思います。
おばぁたちは料理だけでなく山や畑で農作業するときや、遊びのときでもシークヮーサーを着物のたもとにしのばせて食べていたと言います。山の仕事では水の代わりにシークヮーサーでのどを潤したり、真夏のシークヮーサーは酸が強いため芭蕉の葉をじょうご型に丸めて筒にし、川の水を汲んでシークヮーサーと割って飲んだりしたそうです。ほどよい酸とビタミンCで疲れをとったのだと思います。
シークヮーサーは農薬など使わなくてもよく育ち、貧しい暮らしの中では重宝な果実だったのです。今では、シークヮーサーの機能が注目され、研究材料にもなる産物ですが、高齢者の健康を支えた要因の一つであったということだけは言えると思います。でも、シークヮーサーのもつ多彩な機能性を生活の中で生かすことに一番恵まれているわたしたちは、恵まれすぎているために食することを忘れているような気がしてなりません。「安心でヘルシーなシークヮーサー」をおばぁたちのように「身近なもの」にしてほしいのです。
わたしは「庭先にぜひ一本のシークヮーサーを」という運動を提唱したいのです。ウティミー(穂が落ちて自然に芽を出すこと)のシークヮーサーの苗をたいせつに鉢あげして定植する運動をまず村内の全戸から実践してほしいと考えています。もし、それが実現すれば、花が咲いてから実が熟すまで、色や香りや味をいつも家族と楽しむことができます。シークヮーサーがそうしてもっと身近なものになれば、シークヮーサーを生活の中に取り込もうという気に自然となるのではないでしょうか。
たとえば、ジュースにするには酸味を残す11月ごろが一番適していて、手しぼりにするともっとおいしくなること。シークヮーサージャムやヨーグルトのフルーツソースにするには、皮をむき嚢の一つひとつから大きな種を取り除くのはめんどうで難儀な作業ですが、手をかけたものはおいしく感じられること。そこへ皮を刻んで加えると、抗がん成分(ノビレチン、タンゲレチン)量が増加され、魅力的な食べ物になること。そうした発見を家族、あるいは親戚や友人と一緒に体験できたら、いつしかシークヮーサーによる村おこしやブランド化につながっていくのではないでしょうか。わたしはそう信じています。
「一枝に 村を乗せている シークヮーサー」。地元の女子高校生がある賞の新俳句部門で最優秀賞に輝いた作品です。また、小学校低学年の子どもたちの句「ちいさくても みかんの王さま シークヮーサー」「おばぁの時代はシークヮーサー わったー時代もシークヮーサー いつまでたってもシークヮーサー」「とりたいな 手の届かない くがにの実」などからも、それぞの思いが伝わります。「長寿の村のシークヮーサー」から「みんなで育てるシークヮーサー」へと若い世代が受け継いでいってくれることを強く願っています。
シークヮーサーと食育
息子が小学校最後の授業参観日を前に、「三月菓子とポテトフライ(自分たちで栽培した芋)を料理して、お母さんたちといっしょに食べるよ。飲みものはなにがいいかねー?」と聞いてきました。その時、庭ではシークヮーサーの花が咲きほころんでいたので、シークヮーサーティーを提案しました。紅茶の上に白いつぼみをのせて、花びらがゆっくり開いていく姿やその香りも楽しもう。身近にあるシークヮーサーの木を意識してもらう機会にもなると張り切りました。
子どもたちのつくった三月菓子は形もいろいろに楽しくおいしそうにできあがっていました。ポテトはからっとは揚がっていないものの、素材の新鮮さが伝わってきます。シークヮーサーホットティーはそのときはじめて飲んだのですが、なかなかのものでした。子どもたちがぎこちない手つきで紅茶を入れる様子はほほえましくもありました。
わたしたちの身近で育っているシークヮーサーをそれぞれの家庭でうまくつかうことこそ、生きたシークヮーサーの活用で、村おこしにもつながっていくものです。花が咲き、実をつけ、その酸っぱい果汁、庭からとってきたばかりの実を手でしぼったジュース、冬に完熟する甘いシークヮーサー…。季節のリズムとともに食生活の中で生かすこと。それが食教育の基本であり、わたしたちの健康につながるものだと思います。
シークヮーサーのこれからに思う
わたしがおいしいシークヮーサーと出会った頃、シークヮーサーを生果として販売しているのは県内でも一部の地域だけでした。流通に乗せることが難しく、数少ないシークヮーサー農家が出荷するにしてもほぼジュースの加工用としてしか使われていませんでした。『笑味の店』は山原みそやタレを作ることからスタートし、シークヮーサーの製品化は念頭にあってもその時点では現実的な動きがあったわけではありませんでした。それでも、わたしの心の半分はシークヮーサーが占めていました。難しいだろうとは思っていましたが、あきらめることはできませんでした。村の唯一の特産品だし、なによりわたしがこの果実が好きだったからです。いちばん気に入った点が、バイオ農業が進み、果物や野菜はビニールハウスの中で栽培するというご時世において、育てやすくて農薬いらず、家の庭で実っていたり、山で自生したりするシークヮーサーのほうが身体にもやさしく、天然ものの価値があると感じたからです。
しかし、それも害虫やウイルスの発生で、特に集落内では一本の木がまるごと枯れ、家のまわりから、集落からだんだん消えてしまうという事態が起こり、シークヮーサーが生活の場からなくなっていくことに焦りました。復活をさせるのには農薬散布もやむをえないのかと迷うほど。葉は黄色に、枝が枯れ、虫がつき、穴があくなどの症状。つけ根に、島唐辛子の液、泡盛をかけ、穴は粘土を詰め、いたんだ葉や枝を落とし、追肥を積極的に行うなど、まるごと安心して使いたい一心で対策に出ました。
シークヮーサーブームに流され、価格高騰で、われもわれもと競争が加熱し、なにか大切なものを見失っていった顛末です。こんな時代だからこそ、それぞれが歩み寄り、共通理解をして、ブームを乗りこえて、安定供給などの対処が重要だったのではと思います。
私の近所は台所と隣り合わせで使われているシークヮーサーが日常的で、みんなでゆずりあって使うことも当たり前すぎるくらい自然でした。しかし今では高価になった分、分けてもらうことへのブレーキがかかり、一部でシークヮーサー離れが起き、なければなくてもいい暮らしがあります。「買ってまで食べない」「家では農薬をつかえない」など、里でのシークヮーサーの育つリズムが鈍くなっていくのが残念でなりません。昔のように、農薬知らずの「生活のなかのシークヮーサー」として、すずなり「黄金(くがにー)の里」をよみがえらせるために「庭先に健康なシークヮーサー」ということをみんなで理解し、実践するときだと思います。
今こそ「農薬をつかわないで育てた」時代を思い起こし、その長所を生かすとき。「有機農法」エコファーマー(減農薬減化学肥料)を取り入れるなど、量よりも質を考えた生産で、生産者、消費者、製品ともに身体にやさしい仕組みで産地ブランドにすることが、消費者との信頼を保つことでもあります。
「おばぁの時代はシークヮーサー わったー時代もシークヮーサー いつまでたってもシークヮーサー」と地元の小学生が詠んだ句のように、次世代にとっても大切なものです。家庭から育つシークヮーサーの視点で、身近でみんなの食育を定着させてほしいです。健康的なシークヮーサーづくりは、健康な家族へとつながります。
最近、シークヮーサーの皮を入れた「ふりかけマース」の販売をスタートしました。この大切な村の財産を無駄なく使いきるために、消費者とともに考え、工夫していきたいと思っています。